行事 @ CBBスクール

当たり前って何だろう~夏祭りのプロモーションから得た教訓~

投稿日:2017年8月8日 更新日:

こんにちは、インターン生の本多です。

インターン19日目となりました今日は、村での生活の中で、私自身の固定概念が覆った瞬間をお伝えしたいと思います。

事の発端は、夏祭りのプロモーションをする際でした。

夏祭りの宣伝として、夏祭りの内容や日時などを書いたチラシをもって村の学校や市場へ訪れました。

チラシにはこのように、上にはクメール語で日時や場所を書き村の子供たち、大人たちにもわかってもらえるようなチラシを作製したつもりでした。

実際、村の小学校でプロモーションした際は多くの子供たちが集まってきてくれ、お祭りにもスクールの生徒ではない子供たちが多数参加してくれました。

村の市場でも学校と同じように、プロモーションは少しのクメール語で説明しチラシのクメール語を読んでもらい、村の人に理解してもらおうと考えていました。

しかし、市場でのプロモーションを始めた際、私たちに大きな問題が生じました。

それは、文字が読めない人が多いということ。

お店番をしていたおばさんに、チラシを見せながら説明しようとしたその時、「チェ アーン」(読めないの)と言われてしまいました。

その一人だけではないのです。その後も市場でのプロモーションを続けましたが、「私は読めないから、あのおばさんに見せて」と言われたり、こちらもチラシを見せることをためらってしまうようになってしまいました。

今回の経験で、また一歩自分の日常や考えがいかに偏ったもので、相手に対する思いやりや想像力にかけているのかということを痛感させられました。

実際に、新興国には文字が読めない人がいるということは今までの経験や、大学の座学で重々理解していたはずでした。

しかしいつの間にかそれを忘れていたのか、それとも身近に感じていなかったのか、すっかり「識字」という日本では当たり前のことを、カンボジアでも当たり前にしていた自分がいました。

当たり前って、何?

確かに、日本では文字を読めるのが当たり前で、文字を読んで情報を得るという習慣があります。しかしながら、カンボジア、それも田舎の村ではそんな当たり前や習慣など何も役には立ちません。

では、今自らの当たり前や習慣を捨てて考えたときに、村の生活では「識字」が当たり前でないがゆえに存在するのではないか、ということがたくさん思い浮かびます。

例えば、市場の食堂ではメニューなどなく、食べ物が見える状態になっていたり、会話からお店のメニューを知ります。

また、屋台なども文字から入るような情報はほとんどなく、売っているものを並べて見える化されていたり、耳から情報が入るように音を発しながら移動する屋台がほとんどです。

また、村の噂文化も文字から情報を得るのでなく、会話などといった耳から入る情報が絶対となってくるが故の文化なのかもしれないということに気づきました。

このように、普段は何気なく通り過ぎてしまっている村でのことも、自分の当たり前や習慣を捨て立ち止まって考えてみると、様々な事柄が結びついてゆき、なおさら村の人々や彼らの生活、文化を理解できることに気づきました。

もっと早くそのことに気づき、考えることができていたら、今回の夏祭りのプロモーションもうまくいっていたのかもしれません。

今後は、一度自らの当たり前や習慣を一度壊してから、考えてみることを、業務の中でも意識していきたいです。

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