ボクのおとうさんは、本当にボランティアというやつに殺されたのか。




カンボジア農村。

そこには高校卒業後も農業に就く人がいる。農村に多くの職がないため、また高校卒業程度のスキルではオフィスワークは難しいためだ。外国語ペラペラやパソコンが出来る高校生には可能だが、そんな子は農村に多くはいない。

かたや小学校中退、中学中退で同じように農業に就く人たちがいる。高卒者と彼らの所得は変わらない。農村で高校を卒業出来ても、低所得職から抜け出せる可能性は極めて低いのだ。低所得から抜けられない。日々十分な食事もままならない。もちろんそれで彼らがいいなら問題ない。

少しでも生活レベルを上げたい。将来の可能性を広げたい。
これは僕ら先進国の人の価値観押し付けなのか。

ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。

 

これと同じ内容の上記の記事は7000近くシェアされ実に多くの「国際協力・ボランティア」に関心のある人の目に留まった。結論からいくと、僕はこの記事はただの妄想だと思う。途上国の農村のリアルを知らない故の妄想。

唯一この論理が当てはまるのは、小さな離島かアマゾンの奥の奥のジャングルなど「資本主義がない所」。アジア最貧国カンボジアはもちろん、先日まで世界一平均寿命が短かった西アフリカのシエラレオネでさえ、上のブログに書かれるシチュエーションは存在していなかった。外界から遮断され何もなくて幸せに暮らしているなんて妄想なのだ。

 

なぜか。それは「どの村にも村内格差があるから」

村の中にも資本主義は存在する。
バイクを持っている人、自転車を持っている人、どちらも無い人。
土地をたくさん持っている人、少し持っている人、まったく持っていない人。
家が大きな人、小さな人。
かっこいい、可愛い服をたくさん持っている人、全然持ってなくて毎日同じ服を着ている人。
小学校中退で字が読めない人、大卒で英語が喋れる人。

この格差は誰の目にも明らか。
A君は少し綺麗な服を着てバイクに乗り、買い食いして、毎日学校に行って友達と楽しく遊んでいる。
なのに僕の家には自転車さえなく、毎日同じ服を着て、仕事のため学校にも行けず友達とも遊べない。
目の前に中間層がいていい暮らしをしている。そこには人間らしい嫉妬とどこか諦めが共存してる。

 

この人間らしい欲望を無視して「何もないけど幸せ」「心の豊かさ」など幸せイメージを押し付ける先進国の人間。「豊かになりたい」そんな人間らしい欲望がダメであるかのように、先進国の人は素朴で幸せな途上国の人像を押し付ける。

自分はiPhoneで写真を撮りながら何も物を持っていない彼らを「幸せ」だと言う。

出来たら少しでもおいしいものを沢山食べたい。かっこいい、可愛い服を着たい。毎日暑い農村を疲れて歩くよりはバイクに乗りたい。たまにはジュースも飲みたい。そんな少しでも豊かな生活を望んでいるのがリアルだ。

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ボクのおとうさんは、本当にボランティアというやつに殺されたか。

今回のポイントである支援について言及してみたい。

貧困層は自分ではどうしようも出来ない状況に陥っている場合が少なくない。親が病気で家に働ける人がいない。学校に行って自分を磨きたくても毎日働かないと食べていけないために中退。小学生が中学に行きたいように、中学生が高校に行きたいように、多く高校生も大学に行きたい。しかしお金がない。CBBはこの金銭面を解決した。大学入学後、最初の1年間は生活費が1銭も必要ない支援の仕組みを作り上げた。

なぜか、それは彼ら農村の子たちが「大学で勉強したい」と望んでいるから。僕らが教育は大事だよと価値観を押し付けているのではない。この彼ら自身の手でどうしようも出来ない経済状況。ここを解決し、彼らのより望む人生への手助けをする。

これが大学進学支援、いやあらゆる支援の意義だと思う。ボクのお父さんは、ボランティアというやつに殺されました?違う。村では格差が露骨に見え、みな少しでも豊かになることを望んでいる。それを彼らの意思を尊重して側面からサポートする、これが支援のリアルじゃないだろうか。

 

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