ポルポト、クメールルージュの影~カンボジアが経済的・教育的に遅れた全ての根源~




こんにちは。CBBメンバー法政大学1年、星野と杉木です。

まず始めにポル・ポトとクメール・ルージュについてお話いたします。
1975年4月17日、内戦を勝ち抜きポル・ポト率いるカンボジア共産党(クメール・ルージュ)はプノンペンを占領しました。最初は内戦が終わり平和な時代が訪れたと市民は彼らを歓迎しましたが、ポル・ポトは全ての市民を農村へ強制疎開させました。これが悪夢の始まりです。クメール・ルージュは極端なまでの原始共産主義を展開しました。党幹部以外に知識を持つ人間は要らない、国民はひたすら農業だけを行う原始時代のような自給自足国家が理想でした。

そのため革命の邪魔となる医師、教師、学者、芸能者、僧侶など知識、文化をもつ人々を次々と虐殺していきました。虐殺はどんどんエスカレートしていき、読み書きができる人や眼鏡をかけているだけの人まで殺されていったのです。犠牲者は200万人を超え、当時のカンボジアの人口の三分の一が亡くなったといわれています。現在のカンボジアの教育水準の低さや他のASEAN諸国よりも経済的に出遅れている原因はポル・ポトとクメール・ルージュの破壊・虐殺行為にほかなりません。暗黒の時代の産物は、平和な現代のカンボジアにも深い爪痕を残しているのです。

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初めて訪れたトゥールスレン。誰もが目を背けたくなる現実がそこにはありました。これがトゥールスレン(S21)とよばれる建物です。この場所に実際に罪のない人々が収容されていました。壁一面に鉄の鎖がかけられ、囚人は絶対に逃げることができなかったのです。そこには異様な空気が漂っており、わずか数十年前に何百人もの人々がこの場所で殺されていたなんて、とても信じることができません。

 

実際に使用されていた部屋も残っています。一人部屋もあれば、一つの部屋をレンガで分けた十一人部屋もあります。そこには死体発見時の写真も展示されていました。首を切られ血を流している死体、体内から発生したガスで身体がぱんぱんに膨らんでいる死体など様々でした。それぞれの部屋や階段には当時の血の跡が鮮明に残されており、当時の悲惨さを私たちに語りかけてきます。

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ベッドの傍には実際に使用されたお皿や枕、足輪などが置いてありましたが、私が特に衝撃を受けたのはこの小さな箱です。皆さんはこの箱が何に使われていたのか分かりますか?答えはトイレです。想像できますか?信じられますか?私は実際にこの目で見ましたが、未だに受け入れることができません。囚人たちは、部屋の中に置かれたこの小さな箱に用を足していたそうです。大部屋でも同じ扱いでした。彼らは人としての扱いを受けていなかったのです。

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建物の外に出てみると、当時囚人を処刑するのに使用された吊るし台と水がめが置いてあります。左の絵のように囚人を紐で吊るし、水や汚物をためた水がめの中に入れ、殺すのです。子ども大人構わずそうされました。なんて残酷なのでしょう。この目で見て説明を受けた時、私は言葉を発することができませんでした。今まさにその現場にいるのに、理解ができない。頭がついていかない。受け入れられない。受け入れたくなかったという方が正しいかもしれません。しかし今冷静になって考えてみると、この感情を忘れてはいけないと強く思います。

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再び建物の中に入ると、犠牲者たちの写真や頭蓋骨が展示されていました。小さな子ども、女性、お年寄りも多くいました。皆番号札を持たされ、手を互いに鎖でつながれながら撮られており、その表情に笑顔はありません。ただ、これからの生活に対する不安や、死への恐怖、未来への絶望ばかりが浮かんでいました。希望など持っていなかったのでしょう。その目はまっすぐにこちらを見つめ、クメールルージュに対する怒りに満ち溢れていました。罪のない人々の笑顔を奪った彼らを許すことは決してできません。殺されたのは囚人のみではありません。ポルポトは次第に疑い深くなり、クメールルージュ幹部の妻やその子ども、また看守までも処刑するようになりました。当時、誰も彼の勢いを止めることはできなかったのです。

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最後に私たちは、この辛い牢獄生活から生き延びた二人のおじいさんに会いました。
Chum ManhさんとBou Mengさんです。彼らはこの場所で、訪れた人々に自らの経験を綴った本を販売していました。消したくても消すことのできない辛く苦しい過去や思いを持ちながら生き続けることは簡単ではないでしょう。それでも彼らは、今生きていることができて幸せだと、笑顔で私たちに語ってくれました。

二人は他の誰よりも、「生きるのだ」という強い心を持っていました。だからこそあの過酷な状況を生き延びることができたのだと思います。私はそんな彼らの姿を目の当りにし、ここで起こったことを忘れてはならないし、次の世代に伝えていかなければならないと、改めて感じさせられました。私たちには『今を一生懸命に生きる義務』がある。そう強く思わされた経験でした。

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