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【歴史】声なき叫び・トゥールスレン虐殺博物館

投稿日:2017年7月23日 更新日:

こんにちは、お世話になっております。インターン生の川崎です。

週末にプノンペンに行ってきました。私が訪れた一つ目の観光地はイオン、そして本日はもう一つの観光地であるトゥールスレン虐殺博物館についてお伝えします。

トゥールスレン虐殺博物館とは?

・料金:大人$5、音声ガイド付き$8 (日本語音声ガイドあり)
・別称:S-21
・元は高校で、隣に立つ小学校「トゥール スヴァイ プレン」にちなんで命名
・1975年から1979年の間、ポルポト政権下で罪のない人を収容・拷問するための施設として使用
・その他収容所網の極秘センターでもあった

勾留された人々

多くが僧侶、医者、弁護士など専門職に就いたり、都市部に住んでいた人とその家族、学生で、外国人でさえもS-21へ連れていかれました。

ここで亡くなった方々は12000から20000人に及びます。中には眼鏡をかけているだけで知識人とされ殺されてしまった人もいました。

人間は操り人形

・ある部屋には制服を着た若い男性の写真が飾られています。

彼らは幹部で一番年上は20代前半、年下は10代にもなっていません。彼らが受けた教育はスローガンの暗記と行動記録を学ぶのみでした。

読み書きができないので簡単に操られ、最後は彼ら自身が犠牲となりました。

未来を作る場所が死を待つところに

本来学校とは将来のために勉強をしたり友達と遊ぶ希望溢れる場所です。しかしポルポト政権時代、そこは恐怖・絶望しかない暗闇の場所となりました。

一つの教室は11の独房に区切られていました。一つの独房につき横幅は両手を一杯に広げた程度、縦はシングルベッド程です。

食事はほとんど与えられず、あばらが浮き出て目を大きく見開いている人がほとんどです。

<チャム・メイさん>

独房生活を生き抜いた方です。

独房へ到着すると着ていた洋服は脱がされ、床の輪に鎖でつながれました。

床に直接寝なければならず、寝返りを打てば鎖がなり拷問が繰り返されました。

「人」として見てもらえない

S-21では、連れてこられた人は番号が与えられました。ここでは「あなた」「○○さん」ではなく、「それ」、物と同じ扱いなのです。

また拷問も非人間的なものでした。水の中に顔を突っ込ませて溺れさせたり、ペンチのような器具で皮膚をつねるなど、想像することすら苦しいです。

拷問の目的は早く答えを得るため。嘘の自白をさせるためでした。

組織にとって記録が何よりも重要だったので、死なせてしまってはそれが台無しになってしまいます。

この苦しみから逃れたい、すぐに死ねたらどんなに楽だろうか…と収容者の頭の中は「死」で一杯だったでしょう。もしかしたらそれを考えることすら諦めてしまっていたかもしれません。

描きたい

生存者で画家のヴァン・ナットさんはS-21での体験・感情を絵にすることで、多くの人が話し合うきっかけづくりをしたいと言います。

「もし皆が命令に従うか、従わずに殺されるかの道しか考えられないのなら、それは世界の終わりです。正義の終わりです。

理想・人間の良心はそこにありません。人が人を動物以下に仕立てるようになったらそれは正しくありません。」

二度と繰り返してはいけないこと。決して忘れてはいけないこと。

ほんの40年前の出来事です。

過去を知り、今に生かし、未来へ受け継いでいく。

これが私たちにできることですね。

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