インターン21日目~24日目 高熱の日々と言語ストレス~家族の支え~




皆様お世話になっております。

国際協力NGO CBBインターンの地下です。

カンボジアに到着して24日目になりました。

この4日間更新できなかったのは、毎晩40度近くの高熱でパソコンに触ることすらできませんでした。

今週の月曜日(4月17日)

プノンペンからの一人旅から帰宅した夜に体に疲れを感じ体温を測りました。

この時は37.5度の微熱だったので、風邪薬を飲んで寝ました。

その晩寒さで目を覚まし、熱を測ると39度近くの熱が出ていました。

解熱剤を飲み朝起きると熱は下がっていました。

次の日(4月18日)

一日休みを取り、回復したと思われましたが、夜に結婚式に参加した後、再び熱が上がってしまいました。

解熱剤を飲み寝ました。

水曜日(4月19日)

熱は微熱に下がっており、この日は普通に授業を行ないました。

しかし、授業後に熱は上がり、この日は人生初の40度を超える高熱に全く眠ることができませんでした。

眠ると、悪夢に襲われ、眠ることにすごく恐怖で朝を無事に迎えることができるのか本当に不安でした。

あまりの不安に日本にいる家族に連絡を行い、保険のことを聞き、24時間電話で相談できる保険会社に電話をしようと試みました。

しかし、電話をしても繋がりませんでした。

(CBBでは基本的にプノンペン市内のケンクリニックにお世話になっています。
しかし今回はCBBスタッフが熱は把握していたものの、この夜中の精神状態を察することができず緊急対応が遅れてしまいました。
今後再発防止に努めて参ります。ご家族の方にご心配をおかけした点、大変申し訳ございませんでした。)

日本にいる時にしっかり保険のことを確認していなかったことをとても後悔しました。

これまで海外で体調を崩したことがなかったので、保険を「お守り」としてしか考えていませんでした。

海外で、一人で体調を崩した時、しっかり確認しておくべきだと本当に後悔しました。

そして、保険の使える病院を聞き、全ての病院に電話しましたが繋がらず、やっと一件繋がったのが今入院しているプノンペンのSOSというインターナショナルな病院です。

夜中の3時にやっとの思いで繋がった英語が通じる病院、40度の高熱の中、必死で症状を伝え明日の予約を行いました。

次の日(4月20日)

朝6時に起き、ステイ先のママと最初に村の病院に行きました。

この時の体温は38度で大分元気に感じました。

村の病院は初めてだったのでとても緊張しました。

朝一で多くの人がいたのですが優先的に名前を呼ばれ点滴が始まりました。

朝の7時に点滴を始め、昼の1時まで点滴が続きました。

点滴したものは「生理食塩水」と「解熱鎮痛剤」でした。

 

途中でお尻に注射を行い、痺れる痛みが一日続きました。この薬が何かは分かりませんでした。

点滴で身動きが取れない私にステイ先のママが市場でタエクロチマー(甘い紅茶)を持ってきてくれました。

元気が出ました。さらに昼になるとわざわざご飯を持ってきてくれました。

ママの温かさに本当に感謝しました。

ママがいない時は、来年大学進学を目指す、住み込みスタッフのソッコンが話し相手をしてくれました。

日本語で話をすることができるので心がとても休まりました。

点滴の途中で枝に点滴をつけまさかの帰宅でしたが、家でもソッコンが面倒を見てくれました。

さらに昨晩の高熱で何度も着替えたので大量の洗濯物が出てしまい、ママが洗ってくれていました。

沢山の支えを感じました。元気になったあとにお手伝いをしたいと思いました。

この日の昼過ぎに念のためにプノンペンのSOSの病院に向かいました。

熱が35.7度まで下がっていたので何とか3時間弱の道のりをたどり着くことができました。

病院につき、様々な検査が始まりました。

日本人スタッフもいたので細かく伝えることができました。

この時の症状は「高熱」のみでした。

検査結果は、カンボジアで考えられる感染症や病気は、全て結果はネガティブでした。

医療の世界ではネガティブは問題なしという意味を知らず最初に検査結果を見た時は本当に驚きました。

この日の夕方過ぎから、昨日と同じように高熱が始まり、強い頭痛も加わりました。

頭痛はこれまであまり経験したことがなく、眠れない頭痛は人生で初めてでした。

しかも、解熱鎮痛剤を飲んでも頭痛は続き、眠ることが本当に困難でした。

この日に気付いたことは悪夢の内容です。

日本語ばかりを話してきた自分にとって、カンボジアでの生活はクメール語と英語だけを話す日々。

言語の壁で伝わらなく、一日でも早く現地の人とコミュニケーションを取りたいと思い、毎日英語のリスニングを3時間以上、クメール語の勉強を1時間続けてきました。

日々少しずつ話せるようになったのを自分自身嬉しく感じ、どんどん負荷をかけていきました。

気付いたら40度の高熱の中、初めて外国の人と英語で電話をしていました。

私にとって英語で電話を行うことは初めての経験でした。

その一方で、悪夢のほとんどは英語とクメール語のリスニングでした。

頭の中が言語一色になっていました。

何か考えるとそれをどうやって伝えようか考え英語に置き換えられた文字が沢山夢の中で出てきました。

起きるたびに、言語を忘れたい思いと、よくもここまでも英語のことを考えられるようになったなと驚く自分がいました。

この20日、日本とは180度環境を変えたので、気付かないうちに無理をしていたのかなと少しずつ気付き始めました。

次の日の朝(4月21日)

頭痛で目覚め、この日も一日頭痛と高熱に苦しんでいました。

たまに日本にいる家族や大切な人と話すと、そのときだけ元気になりました。

元気になるのも30分が複数回で完全に元気な時間が続くことは夜になるまでありませんでした。

夜になり、頭痛がひどく苦しんでいる時に家族とLINEで連絡をとっていました。

ラインの内容は「ストレスで自律神経が乱れているんだよ。無理しすぎだよ。いつでも帰ってきていいからね。」という家族とおばちゃん、お母さんの兄弟からでした。

この時に「精神的にもつかれていることに心の底から自分を認めることができました。

そしてゆっくり休もう。もっと気楽に自分らしくカンボジアで過ごそうと改めて思いました。」

これまでは、自分の好きなこと、自分がしたかったことをしているから精神的なものは少しだけ。英語も自分で決めた目標で、もともと英語を話すことも好きなのでまさかストレスになっているとは思ってもいませんでした。

でも「自分を休めよう」と心で決め「家族や大切な人の支え」に気付いた瞬間、涙がこみ上げてきました。

不思議なことに、この瞬間に、これまでの頭痛も急にピタリと止みました。

そして気持ちが楽になり、体調が驚くほどよくなりました。

多くの支えを感じ、これまで自分が知らない、見えないところで抱えていたストレスから一気に解放されました。

自分一人では気付かなかったし、乗り越えられませんでした。

そして、この日の看護師は私のことをとても理解してくれる男の看護師でした。

病室では電波がなく携帯が使えず、日本と連絡を取れないことにストレスを感じていました。

思い切って、日本にいる家族や大切な人と話している時が、一番気持ちが楽になれると伝えると、病室の外に出て連絡を取るのを許してくれました。

さらに、頭痛で苦しい時は、ナースコールを使わなくても何度も駆けつけてくれました。とても安心しました。

次の日(4月22日)

一日中体長がよく、ゆっくり一日中ベッドの上で体を休めることができました。

夜になり、患者さんがいなくなったら、ベッドから3mのソファでwifiを使えるので、今ブログを書いています。

今、思えばブログは自分の気持ちをそのまま書くことができるので、とても気持ちが楽になれます。

明日はいよいよ退院ができそうです。

多くの人の支えで、自分では想像もつかなかった、気付けなかった大きなストレスから解放されました。

人は気付かないところで無理をしていて、無理をすると精神的なものから病気になることを、身をもって体験しました。

これまでの自分は「きつくても何とかなるから頑張ろう」で生きてきました。

私は将来教師になります。

これまでの私だったら、本当に生徒が苦しんでいる時に気付いてあげられず、「頑張れ」という一声をかけていたかもしれません。

しかし、本当にきついときに、一度「頑張ったね」と立ち止まることを許してくれる声がいかに、心を休め、再出発させるエネルギーになることを知りました。

何かに挑戦している時に立ち止まることは、突き進んでいくことよりも怖いです。

立ち止まることは決して悪いことではなく、自分を見つめなおし、心身を休める大切な時間です。

健康が一番大切であることを身に染みて感じました。

そして、本当に苦しみ、精神的に追い込まれたときの支えに本当に気付きました。

今まで自分がどれだけ支えられていたかに気付きました。

明日から、健康第一でリラックスして、無理をせず楽しく、頑張ります。

早く村の子どもたち、ステイ先の皆に会うのが楽しみです。

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