こんにちは。CBBインターンの後藤志織です。
この記事の目次
先日カンボジアの首都、プノンペンにある、トゥールスレン博物館に行ってきました。
高校生の世界史の授業で学んだ、衝撃的なカンボジアの歴史、ポルポト政権。
高校生の時は歴史的な事実として学んだだけでしたが、実際、カンボジアで何が起こったのか、人々がどう感じていたのか、どんなストーリーがあったのかを知りたいと思い、プノンペンに行ったら、行きたいと思っていた場所の1つでした。
1975年から1979年までの約3年半の期間で、ポルポト政権は約100万人〜200万人のカンボジア人を虐殺しました。約4人に1人のカンボジア人を殺したのです。
ポルポト率いる、クメールルージュという武装勢力がカンボジアの首都、プノンペンに入場したのは、1975年のことでした。
ポルポトは、原始時代のように、みんな農業をして平等になろう。という原始共産主義を理想に掲げていました。
原始共産主義の実現のために、ポルポトは市民に農業を強制的に行わせました。1日2食お粥だけの食事、12時間の重労働で、多くの人々が過労死や飢餓、病気で亡くなりました。
また、ポルポトは知識は人々の間に格差をもたらすと考えており、知識人の根絶を目指しました。そして多くの知識人を虐殺しました。
眼鏡をしているだけで、知識人とみなされて、捕まりました。また、柔らかい手をしていると、農業に従事したことがない、つまり知識人だとみなされ、捕まってしまうこともありました。
その捕まえた人々を連れて来て、拷問をし、監禁したのが、このS-21と呼ばれていた、現在のトゥールスレン博物館です。
当時の建物がそのまま残っており、実際に監禁されていた部屋やベッド、拷問器具などを見る事ができます。
私も1つの監禁室に入ってみました。真っ暗で狭くて、こんなところにずっと監禁されるなんてと想像するだけでも恐ろしかったです。
実際に気が狂って叫び出す人もいましたが、叫ぶことさえ禁止され、ベッドから体を起こすことさえ許可をとらないといけなかったそうです。
私がこの博物館の中で一番印象的だったのは、部屋中一面にあるこの施設に収容されていた人達の写真でした。みんなこちらを真っ直ぐ見つめていました。
私と同い年くらい、もっと若い子もいました。普通の子、私達とおなじ人間です。なのに、この施設に収容され、拷問を受け、殺されてしまったのかと思うと、心が本当に痛く、ずっと顔が頭から離れませんでした。
ポルポトが行なった知識人の粛清は、ポルポト政権が崩壊した後にも多大な影響を及ぼしました。
ポルポト政権が崩壊し、さあ新しいカンボジアで頑張っていこう!となった時に、多くの知識人が殺害されていたので、カンボジアを立て直す能力のある人がいなかったのです。
実際に、カンボジアで民法が公布、施行されたのはほんのつい最近の2007年です。
カンボジアがどういう歴史を経験して、どういう歴史の上に成り立っているのか、カンボジアに来た人は、是非トゥールスレン博物館に行って学んでほしいです。そしてより多くの人に、ここで何が起こったかを伝えていってほしいと思います。
↑↑ポチッとしていただけると励みになります↑↑