皆さんこんにちは、CBBの春渡航に参加させていただいた学生部1年の松田です。
私たちは村での日程を終えた後、プノンペンに戻ってきました。
最終日はプノンペンでの観光です。
キリングフィールド
CBBのオフィスからトゥクトゥクに乗り、約30分。私たちはキリングフィールドというところにやって来ました。
入場料と音声ガイド合わせて6ドル、私は音声ガイドを聞きながらここをまわりました。
ここキリングフィールドは、約40年前ポル・ポト政権下に約2万人もの人が収容、拷問、虐殺された場所です。
しかし入ってみると、木々や花が咲いている一般的な公園、という感じがして本当にここでそんなことが起きたのだろうかと疑問に思うほどでした。
私は音声ガイドに従い、中を順番に巡っていきました。ひとつひとつの場所に看板があり、ガイドを聞きながらゆっくり歩くことができます。
中でもキリングツリーという木は、幼い子供が頭を打ち付けられて殺された場所で、木の表面にはでこぼことした不自然なおうとつもあり、当時の状況を想像してみただけで見ていることができなくなりました。
何も罪のない人がどれだけ殺され、どんな目にあったのか、その内容はどれも信じがたいもので、胸が締め付けられました。
今、自分が立っているこの場所で人が殺された。この事実を受け止めきることは簡単にはできませんでした。
1度は聞いたことのあるこの残酷な負の歴史をもっと大勢の人たちが知るべきであり、2度とこのようなことが起きてはならないと強く感じました。
トゥールスレン大量虐殺博物館
キリングフィールドを巡った後、私たちはトゥールスレン大量虐殺博物館に向かいました。
ここトゥールスレン大量虐殺博物館もポル・ポト政権下に罪のない人たちが収容、尋問、拷問された場所です。
当時は存在自体が秘密の施設だったため、公式名称はなく現在は地名から取ってトゥールスレンと呼ばれています。
ここでは当時使用されていたベッドや拷問器具をそのまま見ることができます。
部屋に入ってみると、1つの歪んだベッドとその上に置かれた見慣れない拷問器具があり、壁には当時ここで亡くなっていた人の写真がありました。
この日の天気は快晴でうっすらと汗をかいていましたが、部屋に足を踏み入れた瞬間、感じたことのない異様な雰囲気に足がすくみ、何かひんやりとした空気を感じました。
床には落ちきらなかったであろう血痕のあとが大量に残っており、思わず目を逸らしそうになってしまいました。
中でも、亡くなられた方の写真が並べられた部屋では、何も言葉が見つからず「なぜ彼らが死ななければいけなかったんだろう」という考えばかりが浮かび、どうすることもできなかったのかと怒りまで込み上げました。
写真に写る人は年を重ねた老人から自分と同世代の人たち、まだ幼い子どもまでいました。どの人も痩せていて目が大きく飛び出している印象を受けました。
ここに写っている人たちは私と同じ時代を生きるはずだった人々で、何も変わらない同じ人間だということ忘れてはいけないと思いました。
これからできること
今回、キリングフィールドとトゥールスレン大量虐殺博物館の2ヵ所を巡り一番感じたことは、歴史から目を背けてはいけないということです。
実際、私たちがこれらを訪れた際にも世界各国から人が訪れていると感じましたが、もっとたくさんの人がこういった歴史を知るべきだと思います。
過去の事実を受け止め、それをどう生かして今を生きるのか、そして未来に繋げてく方法をより多くの人々が考えていくようになってほしいです。
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