こんにちは。学生部一年の新しいメンバーのゆうなです。今回は渡航について書かせていただきます!
ビザ申請時にパスポートを出し、入国審査官が喋る英語が聞き取れなくて、繰り返し聞いてばかりいたら、突然パスポートを取ってどこかにもって行ってしまう。という、不安からのスタートでしたが、初めて降り立った東南アジアの地でワクワクです。
今回、この記事では明るくエネルギッシュなカンボジアの別の側面、負の歴史である、ポルポト政権に関係が深い2つの場所への訪問について書かせていただきます。
この記事の目次
キリングフィールド
朝早起きして、キリングフィールドまでの道のりは、カンボジアのタクシー的存在、トゥクトゥクに乗り向かいました。心地よい風に吹かれながら、ゆらゆら揺れるトゥクトゥクは、どこか懐かしさを感じます。
キリングフィールドに着いて、初めて物乞いの子供を見かけました。どうしたらいいかわからず、何もできませんでした。
落ち込んだ気持ちのまま、少しぬかるんだ道を進むと、キリングフィールドの入り口につきました。チケットと音声ガイドをうけとり、道順に沿って進んでいくと、明るいカンボジアの暗い側面を耳にしました。
キリングフィールドとは、ポルポト政権下で大量虐殺が行われていた場所です。
大量な死体が発見された埋葬地で、私自身は、実際に骨を目にすることはありませんでしたが、心が震えました。
どうして、こんな悲劇が起こってしまったのか。
道をどんどん進んで行くと、かつて果樹園だった場所と湖が見えてきました。
鶏がそこらを歩いていて、緑と水が豊かな、穏やかな風景がそこにはありました。ほんとうに、この場所で人々は処刑を待たされていたのかと疑うほどに穏やかな姿でした。
次に、私たちの足が向かったのは、女性や子供が虐殺され、埋められた場所です。
その場所の側には大きな木があり、そこに沢山のミサンガが吊るされていました。
一見なんの変哲も無くそびえ立つその木は、悲しい歴史が深く刻み込んである木でもあったのです。
その木が発見されたときに、木に人間の骨や肉の一部がこびりついてたと言います。
そこでは、赤ちゃんを木に打ち付けて虐殺が行われていたのです。
木が悲しそうに揺れているように見えました。
それから、最後に慰霊塔を見上げると、この地で見つかった骸骨たちが私たちを見つめていました。
私は彼らと、彼らの故郷であるカンボジアの平穏と明るい未来を願わずにはいられませんでした。
トゥールスレン
キリングフィールドから、しばらくトゥクトゥクに乗っていくと、かつて拷問が繰り返されていたトゥールスレンに着きました。
トゥールスレンは一見、普通の建物です。コンクリートでできていて、学校のような外観です。
人々が収容されていた部屋に入り、かつての写真や資料を見ることができます。
かつて拷問され、ベッドに縛り付けられている人の写真と、その人が実際に縛り付けられていたベッド、血の跡まで生々しく残っています。
他にも、部屋の中をレンガで仕切っていて、窓から少しの明かりが入る独房などもありました。
トゥールスレンに収容されていた人の写真や、拷問器具、拷問されている人々の絵や写真が展示されていて、息もできなくなるほど、辛く悲しい気持ちが襲ってきました。
誰にも止めることはできなかったのでしょうか。
私は一権力の恐ろしさと人々の狂気がむき出しになった過去を背負うトゥールスレンをみて、純粋に恐怖を覚えました。
おわりに
かつての人々の恐怖や悲しみは計り知れません。
どこにだって、誰にだって負の記憶や歴史があります。
カンボジアでの悲劇は絶対に忘れてはならない、人々が同じ世界に生きている限り、知らなくてはいけない歴史だと思います。
こんな悲劇が二度と起こらぬように。
カンボジアに訪れる人々は、明るく生命力に溢れたカンボジアの別の側面も見ていただきたいと思いました。