異文化体験

現地に来なきゃわからなかったGAP3

投稿日:2016年12月1日 更新日:

皆さま、お世話になっております。インターンの武田です!

カンボジアで感じた日本とのギャップをお伝えします。

この記事の目次

シェア文化

なんでもシェアする文化があります。

物は買った人のものだけではないのです。

日本であれば、貸りていい?や、次あの子に貸していい?と一度、持ち主に許可をとりますが、カンボジア人は勝手に借り、勝手に使い、たまにはそれを、自分のものとして使います。

たくさん持っている人があればあるだけ損をする国でした。

日本人であれば、たくさん働いた人がお金をもらえ、そのお金をいろんな人にシェアをされるのはちょっと、、、って思いますが、カンボジア人はたくさん持ってる人が嫌な顔せず当たり前のようにシェアをしています。

たまに、それにイライラする私は心が狭いのかな?と思ってしまうのですが、たくさん働いた人、たくさん物を持ってる人が損をするのはやはり日本人としてすぐ寛容できない問題でした。

しかし、誰かが風邪をひいたら、みんなが心配します。

自分たちの知識を合わせて看病します。

彼らがしているのは物の共有であり、痛みの共有であり、楽しさの共有であり、幸せの共有です。

みんなで幸せの共有をすることによって、そのものの価値の何倍もの幸せを感じているのかなと思いました。

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教育

教育の環境でもギャップがありました。

英語の授業をしているとき、ペアワークして〜!と説明しましたが、できませんでした。

穴埋めでここを埋めて〜!と言ってもできる子は本当に一握りです。

日本人の観点から考えてみれば、なぜ??簡単でしょ??と思ってしまうのですが、彼らにとってはそれ自体がテストの問題のように難しいのです。

日本では小学生から班決めやグループ活動がありますが、カンボジア人にはそれがありません。

誰かと何かを一緒にすることが出来ませんでした。

しかし、みんな思ったことを言葉にします。

恥ずかしくて言えない子供は少ないです。

日本では、学校が嫌い、勉強が嫌い、教育に対して受け身ですが、カンボジアの子供たちは積極的です。

日本人にとって、手をあげたり、自分の意見をきちんと伝えるということは難しいです。

カンボジア人にとってはなぜ??簡単でしょ??と思うでしょう。

日本でずっと受けてきた授業の仕方が通用しないので、カンボジア人にあった授業を心がけなければいけません。

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日本だったら、雨でも学校行くのがあたりまえ。

親が先生に"いつもお世話になっております"と、感謝をするのはあたえまえです。

強要されていることではなく、それが普通になっています。

カンボジアでは雨が降ったら生徒も先生も来ないからといって、学校に行かせないのがあたりまえ。

学校で勉強するより稲刈りがあたりまえ。

学校に子供が行くほうが珍しい。

学校に行かなくなっても、家業を継げばいいからです。

そうやって、学校に行って、勉強をして、大学に行って、良い仕事を手に入れる機会を失っていく負の連鎖になってしまうのです。

いくら仲が良くても、どんなに勉強や学校や先生が好きでも、私たちは何があっても親には勝てません。

親が子供に勉強の大切さを伝えていかなければならないのです。

本当に必要なのは子供より、親に教育の大切さを教えること。

子供に勉強の楽しさを教えること。

まだ出会っていない、この世の中にあるたくさんの素晴らしいことを教えること。

子供に無知であることに気づかせること。

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自分が無知であることを気づくと自然と自分の生き方が見えてくるのかなと知りました。

無知を知った人間は強いですね。

これから何にでもなれる、自分で生き方を創造していける子供は素晴らしいですね。

毎日子供たちの側にいられるだけでワクワクします。

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