こんにちは。横浜市立大学国際総合科学部1年、井上翔太です。
僕は今回農村生活を体験してみて、いかに自分の貧困地域に対する認識が適当であるかということを実感しました。
農村では実際にホームステイをして生の生活を体験したのですが、電気もない。トイレも各家にない。風呂もない。シャワーもないから井戸の赤みの付いた水で洗う必要がある。前からそういう現状は知識として知っていたけど、その生活がどれだけ大変かは自分自身が経験しなければわからない。そう思いました。
しかしそれは僕たち自身だけでなく現地の人たちにも言えることでした。初等教育に参加してくれた家庭にお礼の意味も込めてインタビューをさせてもらう機会がありました。
そこで
「将来何になりたい?」
「大学に行きたい?」
そう聞いてもいわゆる日本人が持つ夢を語る生徒はほとんどいませんでした。
その理由は
「そもそもどんな職業があるのか」
「大学に行くとどうなるのか」
そのことを何も知らないから将来について考えようとしても何も思い浮かばないことがあげられると思います。だから私はいろいろなことをまずは自分自身が知ることから始めて、人に知らないことを教えてあげたいと思います。人から人へいろいろなことを共有することでその人の選択肢が広がる、そう感じました。
また農村には日本人が忘れてしまったたくさんの大切なものがあると感じました。
例えば子供たちの屈託のない笑顔。
村のコミュニティーで、周りの人とのお互いの助け合いの心。
日本であそこまで心から笑顔で笑ったことはいつだろうと思い返しました。農村生活は日本とかけ離れすぎていて何度か精神的に参ったこともあったのですがその時に子供たちの笑顔をみていつも元気をもらっていました。人と人がつながるためには言語が違ってもあの笑顔で十分だと感じました。
また人と人とのつながりの強さ。貧しくて確かに生活は大変かもしれないけどだからこそお互いの不便を助け合って解消していく。そんな当然なことを日本に住んでいて忘れてしまっていたと気づきました。
今回の農村生活を通して本当の発展途上国の支援とは何なのだろうかと考えました。
その理由は農村の人たちは、全然不幸な顔をしていなかったからです。
あの人たちは自分の生活が当然だと思っている。けど僕たち外の人間からしたらはっきりいってありえない現実。どっちがいいかっていったら日本人は日本のほうが絶対良いっていうかもしれない。けど農村の人は日本と言うかはわからない。だからこっちの価値観だけで判断するような支援はしたくないし、相手の価値観を知るためには相手の生活を聞くだけじゃ十分ではなくて、自分がそこの生活を体験しなきゃ無理だと思います。
だから今後支援をしていくことになったら自分自身の価値観も持ちつつ、たくさんの人の意見を聞きたいです。たくさん聞いて、それを良いと思ったり、良くないって思ったり、そんなことを繰り返し私自身も多くの人に今回の農村の事実を伝えていきたいと思います。
今回の農村生活を経験してそれが僕だけの経験だけにとどまらずたくさんの人に僕が感じたことに近い思いが伝播できれば嬉しいです。今回は多くの学びを得て自分の常識は結局自分自身の常識でしかないことがわかりました。
今回このような機会を与えてくださった方々に感謝したいと思います。
ありがとうございました。