皆様、いつもお世話になっております。元第6期現地駐在員の石出恵です。
現地スタッフ:スレイリャの日本研修留学も2週間が経ちました。
先日、私の家へ泊りに来た時、食器洗いを率先してやってくれたスレイリャ。食器洗いだけでなく、台所の掃除もせっせとやるスレイリャに、私も私の家族もびっくり。
今回の留学を企画してくださった山田先生に教わったそうで、11時にも起きれなかった彼女が、目覚ましをかけ朝も早く起きるようになったそうです。
(台所の隅々を洗剤を使って磨くスレイリャ。手際もとてもよかったです!)
会うたびに変わっていく彼女に驚かされてばっかりです。
本日は、法政大学人間環境学部のある研究会の授業に参加したときについてご紹介したいと思います。
難民を救えるか?をディスカッションしてみて。
今回スレイリャが参加した私の所属するゼミは【アジアを主とする発展途上国の開発について】を専門として学ぶゼミです。
国際機関で働いていた先生の経験をもとに、発展途上国の開発や支援の在り方について、支援・貧困・環境の観点から文献を読んだり、ディスカッションしたりします。
(たくさんの日本人の同年代と会い、楽しかったようです。)
この日は異文化理解の倫理にむけて(稲賀繁美ー編)の中の【14-難民を救えるか?-国際医療援助に走る世界の断層:宮地尚子】という文献をもとに、【問:あなたは難民を救えるか?と問われたらどう答えますか?】という問いについてディスカッションをしました。
この問いには、英訳すると「Can you save refugees?(あなたは難民を救えるか?)」そして、「Can refugees be saved by someone?(難民は救われるのか?)」の2つの意味があることを確認し、学生はそれぞれ考えてきた1人1人の答えを発表します。
スレイリャにこの問について聞くと、
「これはスラムの話?カンボジアには、約1000人以上のスラムがいて、彼らはプノンペンの線路のまわりに住んでいる。子どもは学校に行かないし、親は働かないでドラッグやお酒ばかり飲んでいる。彼らはIDカード(住民票)を持っていないから、いつ政府によって退去させられるかわからない。」
という答えが返ってきました。
Can you save refugees?(あなたは難民を救えるか?)の問いには、
「まず1階は家にして、2階に工場を建てて、彼らに働き方を教えて、、、etc」と救えるか?の答えではなく、how to(救い方)についての答えが返ってきました。
でもこの問は、救い方ではなく、あなたは救えるか?を答える問題。
できるorできないで答え、その理由を答える問でした。問いをよく説明しながら、日本人の学生の答えを訳しながら、ディスカッションに参加してもらいました。
(法政大学にて。)
「できない。」という答える日本の学生に、「なんで?」と連発するスレイリャ。
助けるの定義は人によって違うこと、難民という言葉の幅が広いこと、途上国の人のニーズがわからない、先進国の人が思う支援のゴールは押しつけではないか、と日本人学生の考えていることを伝えると、「I know...」と聞いていました。
スレイリャと支援の方法の話し合いはよくしていますが、今回のような定義や答えの広い問題をディスカッションをするのは私にとっても初めての経験でした。
難民を救えるか?-スレイリャの答えとはー
「私はできる。彼らに仕事をあげることが、難民を助けられたという支援のゴールだと思う。仕事があれば彼らは自分で家を買って、食べ物を買って、欲しいものも買える。そして、子どもを学校にも行かせることができる。働いて、自分でお金を稼ぐことができる状態が大切だ。」
と、話していました。
「日本人はよくニーズがわからないと思うけど、日本人が思っている欲しいものと同じだと思う。ニーズがわからないから何もできないっていうなら、聞けばいいし。逆にニーズがわからないのにできるっていうのは、支援される人は期待してしまうからよくない。」
と、続けていました。
今回の文献では、国際機関の医療分野で実際に現地で働いていた方が書いた文献でした。CBBでの活動と照らし合わせ、写真で伝えられる限界や虚実についての話も出ました。
(以前カンボジアを訪れたメンバーと久しぶりの再会でした。)
この日、初めて日本の大学の授業に参加したスレイリャ。
英語ということもありディスカッションに入ることが難しかったですが、グループワークに一生懸命取り組む日本人大学生に感動した様子で、「私も日本の大学で勉強したい。みんなやる気があるから。ここでだったら私も一緒に勉強したい。」と刺激を受けたようでした。
いつもはくだらない話ばかりしているスレイリャと、こんなにも議論をしたのは久しぶりでした。
これからも現地スタッフとこういう議論もできたらいいなと思います。
このような機会を下さった武貞先生をはじめ、ゼミの皆さん、ありがとうございました。