皆様お世話になっております。法政大学人間環境学部一年の上野萌夏です。
私にとってカンボジアは、去年の夏に学部の授業で来て以来、二回目の訪問となりました。
2回目と言っても、NGOとして現地で活動するのも、トゥクトゥク に乗るのも、農村に行くのも初めての経験です。
初めてカンボジアを訪れて一番印象に残っていたのは、カンボジアの人々の笑顔と明るさでした。彼らの笑顔は本当に素敵で、こちらまで自然と笑顔になってし まうほどです。
初めての農村ホームステイ、果たして生きていけるのだろうかと不安でしたが、迎えてくれたカンボジア人の笑顔と優しさで、そんな不安も気付けばなくなっていました。
(▲とびっきりの笑顔。この笑顔が全ての子どもたちにあると思ってました。)
彼らは、海外から来た見ず知らずの私たちに、目が合うたび、全力の笑顔で微笑みかけてくれます。更に、言葉も通じない私たちに、布団や枕をこんなにいら ないよっていうくらい用意してくれたり、これを自由に使っていいからねとジェスチャーで伝えてくれたり、何も言ってないのに欲していたものを持ってきてく れたり。
日本人の私たちから見れば、圧倒的に貧しい暮らしです。もし私が逆の立場だったら、見ず知らずの他人に優しくする余裕なんてないと思います。
それでも彼らは、全力の笑顔で、全力の優しさを私たちに与えてくれるのです。初めてカンボジアに来た時と今回の農村ホームステイで、カンボジア人の笑顔の素敵さをひしひしと感じていたからこそ、その一方で衝撃を受けた事実もあり ました。
貧困家庭へインタビューに行った際、多くの子どもたちは恥ずかしがりながらも笑顔を向けて話してくれたのですが、その中で一人二人、まったく笑わない子どもがいました。
私が笑顔を向けても、ただただこちらを見つめ、ふっと目をそらす。疲れ切った顔からは、カンボジア人特有の明るさは感じられませんでした。まるで、絶望 してしまったかのような表情を、終始浮かべていたのです。
インタビューした家庭はどこも貧困でしたが、彼らの状況はその中でも特に過酷なものでした。
今まで私が触れ合ってきたカンボジア人たちは、貧しいながらもいつも笑顔で、毎日を楽しんでいるように見えていました。でも、私が見てきたのは、ほんの一 部に過ぎなかったということ。
本当の貧困を、ここに来てようやく、見たような気がしました。
人々の笑顔と明るさに魅せられて訪れた、2度目のカンボジア。半年前は見えていたようで見ていなかった現実。笑顔を失った子どもたちを目の前にして、私は何も言えませんでした。
私たちの支援によって、彼らを笑顔にすることが出来るなら、その支援は意味があったと言えるのかもしれません。カンボジア人はみんなにこにこしていると思ったら大間違い。その陰で、生活苦に追われ笑顔を失った子どもたちもいるということ。
彼らのために、私たちに 何が出来るのか、春渡航を通して、これからじっくり考えていこうと思います。