こんにちは!現地インターン生の堀江愛里です。
ついに今週で、CBBスクールへ来て1か月がたちました。
また8月3日には新しい現地インターン生を迎えたりと、印象としては慌ただしくあっという間に過ぎていった1か月間です。
そんな中でも私なりに沢山考えたこと、感じたことがありました。
カンボジアの農村は「貧困」か?
みなさんは「カンボジア」そして「農村」と聞くと何をイメージしますか?
「収入が少ない」「貧しい」「学校へ行っていない子供たち」
といったマイナスなイメージが浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
もちろん私もここへ来る前そう思っていたし、そのような現実も確かにあります。
けれどもCBBスクールがあるチュンプレイ地区は、そういったマイナスのイメージから来る、つまるところ「貧困」という曖昧な言葉ではひとくくりにできないと、最近思ったのです。
なんだか回りくどい前置きになってしまいましたが、
つまり私が言いたいことは、
「貧しいと思ってきてみたけれど、住んでいる人たちは案外貧しそうじゃないぞ?」
ということです。
近くの市場は毎朝人でにぎわっていて、家畜もそこら中で見かけます。
明日の食い扶持に困っている人がたくさんいるかというと、そうではないと思います。
特にスクールに通ってくる生徒たちを見ていると、
中にはピカピカのバイクを飛ばしてくる男の子や、革風?のこぎれいなカバンと靴を履いてくる小さい子もいます。
けれども一方で、しみがついたいつも同じTシャツを着てくる子もいます。
(THEカンボジアの農村といった風景。マイナスなイメージよりも、のどかで穏やかな雰囲気があります。)
生徒一人一人が、違うということ
授業中、先生の目線から見ていると、
どうしてもその子の日本語の理解度というか、ちゃんと話を聞いているかな?なんてことにばかり関心がいってしまいます。
ある意味「日本語を勉強する生徒」として一様化されてしまいます。
でも、CBBスクールに来るまでのみちのりが皆違うように、
スクールに通う背景や意味が一人一人違うと思います。
もっと具体的に言うと、全ての家庭が貧しいのではなく、中には裕福な家庭や貧しい家庭があり、それによって私たちが提供する語学教育の意味も変わってくるのではないでしょうか。
だから、ただ日本語を教えるだけじゃなくて、
生徒一人一人に寄り添って彼らの将来を少しでも良いものにしていけるような
そんな手伝いができたらいいなと思いました。
(生徒から先生はどのようにみえているのでしょうか・・・?)
あらためて痛感する時間の速さ
そういって大きい理想を語ってみたものの、具体的な方法はまだ見えず、
さらに私にはあと2か月しか残されていません。
生徒一人一人に寄り添うって?彼らにとっての良い将来って?
これらの問いに答えを出すのには、例えば生徒たちの家を訪問したり、授業外でもかかわりを持ったりと、2か月よりももっと長い時間を彼らと一緒に過ごす必要があるような気がしてなりません。
そんなちょっとしたやりきれない思いを抱えている最近ですが、
どうあがいてもタイムリミットはやってきます。
その時まで、生徒一人一人とのコミュニケーションを積極的にして(もちろん私もクメール語をたくさん覚えて)、答えをさがし続けたいと思います。