こんにちは、いつもお世話になっております。 短期インターン中の隈崎です。
村を出発し、最終日はプノンペンで観光をしました!
カンボジアの歴史にまつわる場所を訪れたり、町の風景などを見たりして感じたことをお伝えしたいと思います。
トゥールスレン虐殺博物館
村から出ている乗り合いバンを降りて、そのままトゥールスレン虐殺博物館へ向かいました。
ここでは1976年から1979年の約3年間をとおして、クメール・ルージュ支配下のもと、2万人もの人が収容、拷問、そして虐殺されました。
私は音声ガイドを聞きながら回ったのですが、何が起こったのかを知りながら回れたのでとても良かったです。
眼鏡をかけているだけで、字が読めるだけで捕まり、拷問では嘘の供述を述べさせられ、殺される。
信じられない、信じたくない、でも知らなきゃいけない、この事実が遠い昔ではなく、親も生きていた時代に実際に起こったこと、ここで見たものをしっかり胸に留めて、同じ過ちを繰り返さぬよう、平和を願い過ごしたいと思いました。
キリングフィールド
キリングフィールドは、先ほどのトゥールスレンに収容された人が最終地点として移され、殺された場所です。
大勢の人が虐殺され、遺棄された穴は土で埋められ、囲いができ、その周囲を一周して見られるようになっていました。
音声ガイドで知った現実、私は手を合わせずにはいられませんでした。
その穴を囲う木の柵にはいくつもの紐でできたミサンガのようなものがくくられ、よりその場所に思いを集中させることができました。
そんな時に見た驚きの状況。現地の小さな、7歳くらいの男の子が、柵に入ろうとしていました。
手には何枚もの紙幣。すぐに穴の中にある紙幣を取りたいのだと気づきました。駄目だよと伝えてその場を離れようとしましたが、彼はお金を掲げて私に笑いかけてきました、
そしてまた中に入ろうとするのです。ゲットしたぜと誇らしそうな顔でした。誰が悪いのか、彼は悪くないのか、私はもうしばらくこの経験について考えることになりそうです。
もし大量虐殺が行われなければ
トゥクトゥクで移動中、外の景色を眺めると、建築途中の建物がいくつもありました。
その外壁には他の国の国旗が書いてあるものが多かった気がします。
今カンボジアでは他国からの支援や、他国の企業の進出が盛んです。
イオンではカンボジアにいながら日本を感じることもありました。
ここで私が感じたことは、もしポルポト政権によって多くの人が死なず、カンボジアの発展が止まることがなかったら、どんな発展を遂げていたのだろうか、ということ。
しかし私たちに過去は変えられず、その答えを知ることはもうできません。
現在見えている景色とは違った、カンボジアらしい発展、街並みが存在していたかもしれないのに、、、
こんなことも含め、あの負の歴史は大きな傷をつけ、もう繰り返してはいけないと伝えてくれます。
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