皆さんこんにちは。
最近、ご飯にふりかけ感覚で蟻をのせて食べた、インターン生の本多です。
蟻を食すのは初めてでしたが、見た目とは裏腹に思った以上においしくいただくことができました。
先週末、私の友人のつてで、プノンペンの大学で幼稚園の先生をしている方々とお会いする機会がありました。
友人の紹介ということもあり、大変よくしてくださり、ローカルの観光地であるウドン山(Odong mountain)に連れて行ってもらいました。
その方々は、日本への渡航経験もあり、車を持ち、カンボジアのいわゆるプノンペンに住む富裕層に当たる方々でした。
正直言ってしまえば、村での生活では貧困層の生活を見ることは可能ですが、富裕層の生活を知ることは難しいです。
そう言った点を踏まえると、今回きちんと初めてカンボジアで暮らす富裕層の方々と実際に関わりを持つことができ、さらに彼らの生活を垣間見ることができました。
埋まらない貧富の差
しかし、彼らの生活や仕事、学歴などを知れば知るほど、カンボジア国内の格差を痛いほど知りました。
彼らは、大学まできちんと通い、クメール語、英語、ロシア語をしゃべることができ、良い職に就き何不自由のない生活をしているように感じられました。
また、彼らの子供たち、孫たちも、きちんと学校に通い、大学を卒業し、いい職を得ているようでした。
しかしながら、その一方で、私たちが訪れたウドン山には、休日にそこを訪れる富裕層を相手に、必死にお土産や食べ物を売る人たちがいました。
お金を乞う子どもたちがいました。それもたくさん。
大人も子供もみんな必死にものを売りつけ、時には物乞い同然に買ってくださいと頭を下げているのです。
その時初めて、カンボジア国内の貧富の格差がいかにあるのか、ということを本当の意味で肌で感じました。
きれいな恰好でビールを飲みながら、おいしいものを食べている人がいるのに、その隣で子供たちがお金を乞う。
同じ条件のもとで暮らしているはずなのに、なぜこれほどまでにも間ができてしまっているのか。
富裕層の親の元に生まれた子供たちは、ある程度の環境に恵まれ、いい教育を受け、いい職に就ける可能性が十分あります。
しかしながら、貧困層の子供たちは、家を手伝い、お金を稼がなければ、明日どうなってしまうかわからない、という厳しい現実があります。
やれ進学だ、将来の夢だ、なんて考えている暇はほとんどないのです。
そうすると、彼らが親になった時、同じことが起き、その負の連鎖が立たれることはありません。
言語を武器に貧困脱出
大学の講義や本などでこの情報は知っていましたが、この負の連鎖の深刻さを始めて知りました。
そして改めて、カンボジアの貧困層の支援は必要なのだ、と考えさせられました。
そして、富裕層の強みの1つとして、やはり言語があるのだ、ど実感しました。
今回お会いした方は、クメール語にプラスアルファで最低限でも1言語喋れる、という点を感じました。
言語、のみだけの条件ではないでしょうが、やはり言語が喋れる強みは存在するのだ、と強く実感しました。
そして、このCBBがある村の子供たちは、言語をそれもタダで学べる素晴らしい環境があります。
子供たちがCBBで最大限に自らの能力が伸ばし、それを武器にして、将来を見据えることができる、そんな子供たちがスクールから1人でも多く排出されることを願うばかりです。
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